片野光男です。私は、平成11年1月1日に新設された九州大学医学系研究科・腫瘍制御学分野の教授として佐賀医科大学から赴任して参りました。
赴任当時は、人がいない、部屋がない、金がないの「ないないづくし」でした。わずか15年足らずの間に、基礎研究棟、一外科図書室、コラボステーション、総合研究棟と渡り歩いてきました。冒頭に、「人がいない」と述べましたが、実は、赴任当初から今日に至るまで人には大変恵まれました。恵まれすぎたと言うべきでしょう。
今、15年を振り返るとき、私は森崎君、野見山さん、大西君、馬場君、中村君をはじめ、50人近い大学院生達に囲まれ有難い時間を過ごしてきました。皆さんと出会えて本当に幸せであったと心から思っています。
許されるなら、私が皆さんの貴重な時間を一方的に奪い取っていなかったことを望みます。もし、奪っていたとしたら心よりお詫びします。

 15年を通じて皆さんに伝えたかったのは、「共に学ぼう」、「潔く生きよう」、「優しく生きよう」、、、、ということでした。 「廊下の端を颯爽と歩こう」、「いつだってやり直しはできる」、「でもは言うな、言うなら私をぎゃふんと言わせる位の理論武装をしなさい」、「学位とは何かを良く理解しなさい。学位など何にもならないと考えるならすぐこの場を去りなさい」、「苦しいことは乗り越えられる可能性があるが、楽しいと思えないのは問題だ」、、、、。
皆さんには説教のようだったかもしれませんが、一言で表すとすれば「腫瘍制御学教室を仮の住まいとして、社会のより良い道具となれるように、共に、心の背骨を鍛えよう」(意識して生きよう)ということでした。

 このような私も、何時しか医学研究院の古参となり、平成23年1月1日には研究院長を拝命し、病院地区全体の学部生、大学院生、教職員の日常に関わるという立場を与えていただきました。教室のスタッフや学生には多くの犠牲を強いることになりましたが、もがきながらも新たに学ぶことの多い実に有難い時間を過ごさせていただきました。大西君、野見山さんはもとより、心より皆さんに感謝いたしております。本当にありがとうございました。

 この医学研究院長としての立場も、本年12月31日をもって4年の任期を終えることになりました。私は、職位とは職責のことだと理解しています。つまり、医学研究院長とは研究院長としての責任を負わせていただいたということであり、この重責を背負えた幸運に感謝しています。
私にとっての責任とは何かということですが、意識して研究院長としての日々を送ることだと考えてきました。すなわち、キルケゴールが述べているように、「意識こそが自己であり、意識が増せば意思が増し、意思が増せば自己が増す」という考えに同感するからです。
そこで、医学研究院長の任を終えるにあたり、このような立場を与えてくれた皆さんに、片野という一人の人間がどのように意識し、どのような意思(志)を持って医学研究院長としての日々を過ごしてきたかをご報告すべき義務があると考え、今筆をとっています。
報告として最も相応しいのは、医学研究院長として臨んだ今回の総長選挙における私の所信表明であると思い(ご存知のように総長となることはありませんでしたが)、所信表明文を持って皆さんへの感謝のメッセージとし、腫瘍制御学教授および研究院長としての責務を終えさせていただきます。


所信表明(平成26年7月1日)

 先ずは、病院キャンパスの代表としてご推薦いただきました医・歯・薬・病院・生医研の皆様にお礼申し上げます。また、所信表明の場をお造りいただきました総長選考会議の皆さま、そして何より本日お集まりいただきました皆様に心よりお礼申し上げます。
私は、所信表明に際し、私の生き方や日常の課題に対する対応の仕方の基本を中心にお話しさせいただき、皆さんが考えている九州大学のリーダーとして相応しいかどうかをご判断いただきたいと思います。先ずは、(1)どのような環境でどのように考えて生きてきたか、(2)次いで、このような考え方や生き様が、総長として求められる資質に応え得るかどうか、(3)そして、このような私が次期総長として手をあげた理由をお話しさせていただき、(4)最後に、実現したい三つの事に絞ってお話したいと思います。

「信・望・愛」
 私の人としての目標は、「社会のより良い道具となる」ということです。
道具という言葉の是非はともかく、自分の利益のためではなく「世のため人のために役立つよう奮闘努力する」ということです。そのためには「全てを信じ、受け入れ、愛し、そして希望する」という心の背骨を養い鍛え続けることだと思っています。ちなみに私が担当しております腫瘍制御学分野のロゴは「信・望・愛」です。それでは、先ず、どのような環境でどのように考えて生きてきたを中心に、簡単に紹介させていただきます。

 フィリピンから引揚げてきた両親の四男として、1949年別府で生まれました。別府鶴見が丘高校を経て、1967年に九大医学部に入学、1973年に卒業と同時に九大附属病院の第一外科(現在の臨床・腫瘍外科)に入局しました。1981年に、新設された佐賀医科大の消化器外科に赴任し、約20年を佐賀で過ごしました。その後、1999年に外科学講座腫瘍制御学の教授として再び九大の門をくぐることになりました。
高校を卒業する頃、父が、できれば教員か医者になって欲しいというようなことを言いだしました。その当時、8歳上の兄が既に教員になっており、それではということで医者になることにしたというのが医学部に進んだ理由の一つです。
専門は、消化器外科学、研究分野は、「免疫学を基盤とする腫瘍制御学」です。外科研修を終え、選んだ研究テーマは、「癌性腹膜炎患者の治療法開発」という奇妙なテーマでした。何故奇妙かというと、今から外科医になろうとする者が、手術のできない癌性腹膜炎の治療法を見つけようとしたわけですから。

 では、何故そのような研究テーマを選んだかということですが、正確には表現できませんが、手術どころか治療法がなく、痛みを和らげるモルヒネ注射だけのために入院し、次第に奥へ奥へと病室が移り、そして亡くなる。当時、このモルヒネを打つのが我々研修医の仕事の一つでした。私は、何とかしなくてはという離れ難い力に捕らわれたというのがこれを研究テーマに選んだ理由に近いような気がします。
癌性腹膜炎患者さんは、終末期患者と呼ばれ、死の訪れが近い方々であり、私の外来は、手術で治り明日を見つめる患者さんと、近くに死を見据えた手術のできない患者さんが交互に訪れるという他の外科医仲間からみると不思議な世界が30年以上にわたって繰り返されてきました。

「限界(死)を認める」「不完全な選択を認める」
 この外来医療を通して、二つの思いが生まれました。
一つは、「限界(死)を認める医療」という思いです。限界を認めることと、あきらめるということは似て非なるものです。医療の限界を認めるためには、死や苦しみの意味を受け入れ、認め難い死や苦しみに希望を見出せるよう、私自身の心の背骨を鍛える必要があると考えるようになりました。私の生き方の基本は「先ずは全てを受け入れる」ということです。
二つ目の思いは、「不完全な選択を認める」ということです。簡単にいえば、患者さんが望んでいるがんを治してほしいという第一選択を除いた残りの選択肢の中から、不満足を承知しつつ次の選択肢を選び出す作業です。これは「不完全な選択」の一つの例ですが、多くの癌性腹膜炎患者さんは3か月の命の中で、腸閉塞により、溜まった腸液を外に出すために鼻から太い管を入れられた状態で過ごすことを余儀なくされます。この管を外すことや命を延ばすことはできませんが、首から針を刺すというリスクや、命を延ばすことはできないことを受け入れれば、このように首から管を入れることも選択できます。御覧のように、外出やかなりの日常生活を送ることが可能となります。

 「不完全な選択」においては、患者さんの選んだ選択肢が私の選択肢と異なるということがしばしば起きます。その時の基本は三つです。
一つは、限られた時間の中でとにかく話し合うということです。
二つ目は、患者さんおよび家族の選択を優先することです。
三つ目は、医療の専門家としての目から明らかに異なると思われる患者の選択に関しては再度話し合うということです。すなわち、相手の考えを尊重し、先ずは受け入れ、かつ自分自身も信念を持ってとことん話し合うということです。そして、最も重要なことは、出した結論には患者・家族・医師が積極的に賛同するということです。結果として、不完全な選択が完全な選択に近いものに変わるという奇跡がおきることもあります。

 実際の現場では、さらに複雑で、選ばれた「不完全な選択」が正しいかったかどうかは常に疑問として残ります。しかし、私は、医療に限らず、日常的な問題を含め「限界を認める」、「不完全な選択をする」という視点で日々の課題に対峙してまいりました。「限界を認める」、「不完全な選択」というのは「不十分な責任の下で実行される不完全な決断」となる危険性も含んでいます。したがって、下した決断には、常に客観的な評価が伴わなければなりません。

「研究者としての資質」
 次に、総長としての資質に対する自己分析を行ってみたいと思います。
先ず、研究者としての資質について考えてみたいと思います。癌性腹膜炎治療法の開発は、私のライフワークですが、1978年に最初の論文を発表以来、10年かけて1989年に「癌性胸・腹膜炎患者に対する溶連菌製剤腹腔内投与療法」を保健医療へと育てることができました。本療法は現在も癌性腹膜炎の代表的な治療法として利用されています。すなわち、臨床研究が保健医療へ繋がった稀なケースであります。この経験をもとに若手臨床研究者のために本を作成いたしました。教育のための「最良の教科書は、質の高い研究」であるという側面も信じています。
したがって、研究者としての資質を判断していただくための材料提供という意味で、UCLA留学時代の仕事を簡単にご紹介させていただきます。

 テーマは、「がん治療の為のモノクロナル抗体作成」という、世界で最初の癌に対するヒト型モノクロナル抗体作成であり、学会やメディアで高い評価をいただきました。しかし、評価の高い研究というのは、与えられた場やテーマ、および指導者に左右される面が大きく、考え違いをすると自分自身で成し遂げた成果だと思いこむリスクを背負います。これは、教育者が学生に指導を通して丁寧に説明すべき重要な点だと考えています。
そもそも、この留学は、癌性腹膜炎患者さんの治療法開発をするために、異なった考え方や技量を磨くためでしたので、この研究テーマに未練もありましたが、約束の2年で帰国し、外科医として再び癌性腹膜炎治療法開発に取り組むという立場を選択いたしました。

「教育者としての資質」
 次に、教育者としての資質について考えてみたいと思います。私の留学経験は研究に対するモチベーションは勿論、見識を広めるという面から期待以上のインパクトとして私に残りました。したがって、私が1999年に現在の大学院教授になって最初にしたことは、大学院に入ってくる外科医の視野を広げるために大学院生の留学先を求めてのアメリカ横断旅行でした。有り難いことに、腫瘍制御学という小さな教室ですが、ヨーロッパを含め、常時3、4か所に外科医が留学生として学んでいるという状況になっています。

 私は、人を育てるには、指導者は、学生に自分の信じる事柄を話して聞かせることが重要であると考えています。したがって、研究者としての資質はいかに高い研究をしたかという事実と同じく、学生をより質の高い研究者として育てるための教育者としての資質を身に付けているかだと思っています。

「改革のための資質」
 改革のための資質については、経歴が示すように、九州大学と佐賀医大での合計35年の教員生活を通して考えてみたいと思います。
佐賀医科大学の開院から約20年間を新設医科大学の教員として、診療、学生教育、臨床医教育を中心に関与してきました。この経験では、ゼロからの出発では、改革の順位付けが重要だという事を学びました。佐賀医科大学の場合は、改革の重点が診療からスタートし、診療・教育そして教育・診療へと移行し、佐賀大学との統合を機に、教育・診療・研究へと改革が順序を間違えることなく進められたと考えています。総合大学である九大の場合は、既に整っている教育・研究・診療が良循環を形成するようバランス良く改革を進める必要があると考えています。立場の異なった大学で教育・研究・診療の場を経験したことは、九大の個々の部局や一人一人の特性をバランス良く眺め判断することの要求される総合大学の改革において役立つと信じています。

 改革においてもう一つの重要な点は、事務組織との徹底した話し合いを通じて互いの力量を引き出し専門性を高める作業です。改革は、人のためであり、実行するのも人。まさに、人・人・人です。

「管理・運営のための資質」
 最後に、管理・運営の資質について考えてみたいと思います。
副研究院長と病院長補佐を兼務し、医学研究院と病院を同時並行的に眺め両組織の管理・運営に直接携わってきました。この経験は、その後の医学研究院長としての組織運営に大いに役立ち、医学、歯学、薬学、病院、生体防御医学研究所の個々の特性を強めつつも、病院キャンパスとしては、5部局統合による「開放型国際ライフイノベーション拠点形成」という共通の目標の設定にこぎ着け、5部局間の共同作業として病院キャンパスゾーニングなどの基盤整備を続けてきました。 現在、この構想を持続的に発展させるために、国際連携強化によるアジアの基幹大学となるための新たな強みの創造を目指して改革を進めています。

 また、運営という面からは私が関与したある大都市の県病院統合の経験をお話すべきだと考えます。10年以上前になりますが、ある大都市の10の県立病院を5つに統合するための外部委員として3年ほど関わってきました。
私は、10の県病院のヒアリングに立ち会い、当時の委員長である副知事に「10の病院は全て残せるのではないか」という感想を述べました。その時、副知事は非常に有り難いコメントだが、財政上5つに統合することになっているという念押しをされました。その当時の10の県病院の責任者がこぞって主張するのは、自分の病院が作られた経緯と、これまでいかに県に貢献してきたかという二点でした。
私が申し上げたのは、これまでの経緯は経緯として、一度、現在の経済状況や県としての立場を受け入れた上で、各病院存続の理由を改めて説明すべきだという事だったと記憶しています。次の会では、各病院が病院機能の変更による存続を主張してきました。提案した私が驚くほどの意識改革案でした。

 その後の経過は省きますが、結果的には10の県病院は独自の新たな目標設定の上で経営的にも全て存続できるという結論に達し、現在に至っているようです。 この県病院統合案が当初の結論と異なる結果に帰着したのは、二つの出来事が重なった結果だと思っています。一つは、副知事が「10を5つにする」というリーダーとしての結論に固執しなかったこと。二つ目は、病院が病院機能を変更してでも存続させるという「不満足な選択」に舵を切るという英断をしたことです。

 話し合いとはこのようなものだと思います。明らかに利害の反する課題であっても、先ずは、相手の考えを受け入れ、かつ自分の考えを理論的に説明し、互いに自論に固執せず問題点を粘り強く討議することだと考えます。
つまり、組織としての決断には、そもそもトップダウン的な考えとボトムアップ的な意見が揃わなければ討論に値する結論は導き出せないのです。このステップを踏むことこそ、迅速かつ組織にとってのより正しい結論に至る王道だと確信しています。これこそが、総合大学のガバナンスです。

 繰り返しになりますが、リーダとは「多様な価値観からなる考えを調和させる知恵と力量であり、リーダーのガバナンスとは、「責任を自覚した決断」であると考えています。この意味で、組織としての決断を下す総長の場合は、6年の任期の間には解任も含め、信任を問う何らかの仕組みが必要だと考えています。

「総長選挙に立候補した理由」
 次にこのような経歴を歩んできた私が、何故、次期総長候補者として手を挙げたのか二つの点に絞ってご説明したいと思います。

 一つ目の理由は、独法化後10年が経過し、さらなる発展のための再評価の絶好のチャンスがきたということです。独法化という未経験な組織改革に取り組んで既に10年が経過しました。つまり、新生組織として再評価あるいは見直しを行う時期に入っていると感じます。
見直しは、次のステップへ歩みだすための当然のアクションです。見直し作業の基本は、規則や制度のスクラップアンドビルドではなく、作り上げた規則・制度をより目的や時代に沿ったものに修正するという作業だと考えています。
しかし、規則や制度を作ってきた当事者が自ら作った規則や制度を客観的に見直す作業は容易ではないことは皆さんも経験しておられると思います。ご存じのように、総長は二期にわたり工学系から選出されていることも事実であります。
したがって、これまで成し遂げてきた改革の取捨選択も含め、制度や改革をより目的に合ったものにするために、これら改革に直接かかわってこなかった執行部以外の第三者を長として見直すのが組織として賢明な選択だろうと考え、次期総長候補として立候補することにしました。

 二つ目の理由は、私の経歴を九州大学の発展に活かすことができると確信したからです。すなわち、独法化後の大きな問題の一つとして経営という側面が大学の肩に圧し掛かってきました。九州大学は日本で最大規模の附属病院を有する総合大学です。経済不況により運営交付金が減少する中での独法化により、利益と同時に損失を作り出す可能性がある病院運営は、大学全体の運営に与える影響が益々大きくなると思います。
また、わが国の高等教育並びに研究が、グローバル化や急速な技術革新、競争激化といった環境変化にさらされる中、私の大学病院長補佐並びに研究院長としての経験は、病院地区という特殊な環境を超えて、総合大学としての九州大学の発展に活かしうると考えております。

「次期総長としてのミッション-1:教育」
 最後に、次期総長のミッションについて三つの点に絞ってお話しさせていただきます。
先ずは、教育改革です。国際的な視点から、より良い学生を獲得するための入試改革であり、「国内外の優秀な学生を集めるための九州大学独自の入学試験制度」として、「飛び級入学」や「高校・大学連携入学制度」などの可能性を改めて検討したいと考えています。この点で、現在の国際教養学部構想は、少なくとも次のようなステップを踏んでスタートする必要があるでしょう。
たとえば、積極的に手を挙げたい部局もあれば、構想には賛成だが現時点ではスタート前の準備が必要だという部局もあるでしょう。また、部局によっては日本語での高度な教育こそが必要で、日本人に敢えて英語で教育するのはそぐわないという学部もあるでしょう。
つまり、部局による温度差を認めたうえで考える必要があります。

 一方、本当に優秀な外国人を獲得したいのであれば、英語は堪能だがむしろ日本語での教育を望むモチベーションの高い外国人を入学させる方法も考えるべきでしょう。さらには、より良い他国の学生を獲得するだけではなく、より良い自国の学生を他国へ供給するという視点での教育カリキュラムも必要でしょう。
目標達成のために、実情をしっかり把握し、身の丈に合った不完全なスタートを敢えて切らざるを得ないことも容認すべきでしょう。
少なくとも、多くの部局が不安を抱えた状態にある状態で、拙速にスタートすることは避けるべきだと考えています。

 次が、最高水準の研究者を育成するための制度改正であり、国内外の優秀な学生を重点的に教育する「スーパーエリート育成システム」、あるいは学生自身が自らの研究適性や独創性を確認するための「リサーチ・アーリーエクスポージャー制度」などを想定しています。
最後は、九大卒業生の国際的評価を保証するための「学位認定基準の見直し」なども必要だと考えています。個人的には、日本が抱える人口減少を伴う少子高齢化問題を教材とし、少子高齢化へ対する問題解決型教育システムを世界に先駆けて作り上げる努力が重要だと考えています。
これは、世界の優秀な学生達を引き付ける魅力的なテーマだと思います。実は、次なる課題は、医療の発達にともない地球レベルでやってくる「人口減少ではなく人口増加を伴う少子高齢化」だと思っています。
現在のグローバル経済の仕組みでは立ち向かえる課題だとは到底思えません。そのためには、現在の価値観にとらわれない社会学、教育学、経済学、あるいは哲学といった地球レベルでの「22世紀課題型リーダー養成」の準備に取り掛かるべきだと思っています。

 これら制度改革は、過重労働に追われ本来業務に対する責任が果たせていないというストレスの中で頑張っている教職員の現状においては、教員の1の努力が学生にとって3の成果に帰結するような改革案であるかが重要な鍵を握ると考えています。つまり、システムは人が動かすのだという基本を無視しないということです。

「次期総長としてのミッション-2:研究」
 二つ目は、世界最高レベルの研究推進のための改革です。第一は、アジアを中心とした国際共同研究の質・量の加速化と大学院生レベルでの教育連携の推進です。そのためには、連携大学に魅力的な各部局あるいは九州大学としての強みを明確にする必要があります。具体的な例として、私が研究院長として、医系キャンパスで取り組んできた一つの事例をご紹介します。

 久山町研究や油症研究は50年にわたり継続されてきたというだけではなく、これから先も永続的に継続可能な世界でも類をみないユニークな健康情報収集・解析研究です。この集積された健康情報をコホートと呼びます。
御覧のように、九州大学は世界でトップの、まねのできない精度の高い6万人を超える健康情報を有しています。加えて、このようなコホートを集積・解析するノウハウを持っているのです。この宝を世界に役立てるために、国の概算要求や九大リーディング大学プログラムの支援を受け、「総合コホートセンター」を病院地区に設置しました。 このセンターを中心に、やはり50年間にわたりハワイ日系人のコホートを有しているクワキニヘルスシステムとの学術協力協定を結び、さらに、来年度中にはオーストラリアの大学とも学術協力協定を結ぶ予定です。

 すなわち、九大のコホートセンターは数年の間に、開放型国際コホートセンターへ発展し、世界の生命科学の拠点へと成長することは間違いありません。最終的には、今後世界各地で活躍するであろう日系人の健康管理を九州大学が中心となり実施することを目指しています。
当然、「総合コホートセンター」は、九州大学においても、生命科学系に止まらず、工学、システム情報、芸工、人文・社会科学系にとっても新たな研究・教育分野を創生するための学際的なセンターとなります。このような、強みは、各学部、研究院および研究所が有しているはずであり、常に国際貢献という視点に立って、また外に門戸を開いた「開放型国際イノベーション大学」としての方向性を明確にすべきだと思っています。

 このような視点にたって、現在の大学改革活性化制度は見直す必要があります。たとえば、集めたポイントを全て使い切るという方法ではシステムの継続は不可能です。また、いかに素晴らしいプロジェクトであっても、企業同様、ポイントを獲得し続けなければ、いずれ勝ち組も多くの負担を抱え込むことになるのは目に見えています。また、現在の選別方法では、長期的に見て社会として基本的な部局の弱体化を招くことにもなり、総合大学としての使命達成に支障をきたすようになることも懸念されます。

 この点からだけ考えても、目的達成のためには、何が利点で、何が問題かを一定の時間をかけて皆で再評価する必要というか義務があると思います。
たとえば、真に必要な課題を数も含め評価するシステムを考えねばなりません。個人的には、極めて突出した1ないし2課題を選別し、残りのポイントは再度部局に戻し、採用されなかった部局ができるだけ継続的に挑戦できる仕組みを考えるのも一案でしょう。
また、九州大学発展のための仕組みというのであれば、部局ポイントではなく、重点的に総長裁量経費を充てるという考えも必要でしょう。さらには、年俸制という給与の不均衡分配を許容する時代に入ったのであれば、総ポイント数は当たらず、教授1、準教授幾つというポイント数の縛りを各部局のコンセンサスを得たうえで常識的な範囲で緩和することも考えられます。いずれにせよ、26年度中には一定期間の中間評価期間を置く必要があります。

「次期総長としてのミッション-3:学研都市整備」
 三つ目が、安全安心な学研都市の整備です。これら教育・研究改革を加速させるには、伊都移転後の、箱崎地区問題についても言及する必要があります。基本は、九大100年を支えてきた地区だという点です。100年間お世話になった地域への感謝をもって真剣に取り組むべきだと思います。
少し奇妙に聞こえるかもしれませんが、20年前とは異なり、少子高齢化により大学をはじめ学校や公共施設は再び、郊外から都市への帰省が加速されています。九大移転の理由の一つは、敷地が狭すぎることであり、箱崎地区そのものは文教地区に相応しい環境の整った場所なのです。したがって、九大移転による跡地の地域への貢献という目線で、この敷地面積で十分と考える他大学等への呼びかけの道もあるのではないかと考えています。

 もう一つ忘れてはならない点があります。それは、現在箱崎地区に残っている複数部局の現在の住環境の整備です。これらの部局も31年までには移転を完了するわけですが、移転までの間は移転の進展速度や移転の準備など大変ストレスのたまる日々が続きます。
したがって、当然のことですが、いずれ移転するからという視点ではなく、現在できる可能な限り、知恵を出し合って、移転までの期間の箱崎地区での教育・研究の環境を整えるという視点で移転を総合的に捉えるべきだということです。
当然、移転をしないキャンパスもこれまで以上に他部局との連携が時間的・空間的に困難となってきます。ネット会議設備の整備や移動法の工夫など、キャンパス分散型総合大学の特性を活かせるような仕組みも移転終了時には完成しておく必要があります。
次期総長は計画通り平成31年度に移転を完了させなければなりませんが、同時に、移転そのものが最終目的ではなく、よりよい移転を実現する仕掛けを考える段階にきています。

 これは現在の伊都地区の様子ですが、駅やバス停には学生・教職員の長蛇の列ができています。これは、一例にすぎませんが、学生・教職員の住環境整備にも知恵を働かせねばなりません。
周辺をみますと、福岡大学の土地や、西南大学の土地など複数の学校関係の土地が見受けられます。また、糸島地区は住環境に優れ伊都学園都市とともに発展する可能性の高い地域です。
すなわち、交通インフラなどが整備されれば、九大学研都市というより福岡の学研都市として成長しうる要素を十分に備えています。伊都地区には、大学として、2万人を超える学生・教職員が学び働いています。国際化に伴い外交人学生・教職員数も急速に増加すると予想されます。これらの人々の健康と安全を保障する仕掛けを考える必要があると思います。

 このようなことを総合的に考え、伊都に新たな病院を作ることを真剣に考える必要があると考えています。病院ができれば、地域医療支援も可能となり、交通インフラも整備され、伊都周辺へ定住する人も増加し、学園都市として発展する可能性がさらに大きくなると考えられます。これら提案の根拠は、佐賀での新設医大開設時の20年にわたる大学病院を中心とした街づくりの体験を通してのものです。

「九州大学の進むべき道」
 ただ、いかなる改革においても基本は人であり、改革の為の改革という陥りやすい危険には十分気をつけねばなりません。当然、職場というものは人生同様苦しみや悲しみが日常的に繰り返される場です。だからこそ、職場とは朝家を出る時「さあ今日も一日頑張ろう」という感情が湧いてくる場であり、改革には「よしやってやろう」という気概が湧いてくることが基本だと思っています。
そして、社会に生じた課題に対し、九州大学としての考えや方向性を地方や国や世界に向け発信し続ける(提言する)大学としての本来の義務を大切にしたいと思います。
社会が迷い込んだ闇に一条の光を照らす大学作りに一丸となって笑顔で取り組みましょう。 今後の九州大学並びに皆様のご健勝とご活躍をお祈りし、私の所信表明とさせていただきます。有難うございました。


 「雑談:信・望・愛」
私は、貴方達の良い道具となることができたのでしょうか?私の背骨は、少しは鍛えられたのでしょうか?
疑問ばかりが残りますが、関わりに長短あるいは深浅はあれ、私たちは、与えられた一生の中で、時間を共に過ごしてきたわけです。そして、例え一時であれ、私は、教授として、父として、兄として貴方達に接しようともがいてきました。そんな私に皆さんに短いメッセージを送るチャンスをください。

 メッセージは「是非、物事には意識して臨み、個人の考え(自己)を持って共同体としての討議に参加し、決定には凛として従い潔よく生きたいものです。自分の不誠実、不正や裏切りを自覚できる最低のインテリジェンスを身につけたいものです。そして、自己の利益を99%から98%に減らす力量を養いたいものです」。
言いつくすところ、先ずは、身に降りかかることを事実として受け入れ、受け入れたのなら信じ、そしてそのことを愛せるよう自身の成長を祈るということかもしれません。
腫瘍制御学のガイドラインに書かれているように、「学べることに感謝し、よりよい医療者としての成長を願い明日に向かって颯爽と歩んでいきましょう」。皆さんの上に一日でも幸せの日の多からんことを祈っています。15年間のお付き合い本当にありがとうございました。