片野光男です。私も本年12月に医学研究院長としての4年の任期を終了いたします。

したがって、医学歴史館の落成を迎えるにあたって、腫瘍制御学分野の皆さんに小さなメッセージを送りたいと思います。以下は、来る9月26日の医学歴史館落成式において私が祝辞として述べた全文です。 九州大学医学部長の片野でございます。本日、長い間、待ち望んでおりました「医学歴史館」の落成式を迎えることができました。九大医学部を代表して、同窓会の皆様をはじめ関係各位に心よりお祝いと感謝を申し上げます。

ご存じのように、この地に医学部および附属病院ができましたのは1903年、今から110年前のことです。当時は、日本医学・医療の黎明期であり、西欧医学・医療に追いつき、追い越せという抑えきれない程の熱き情熱に燃えた教官・学生が全国から福岡のこの地に集い、近代医学・医療国家建設の歩みをスタートしたわけです。
その当時の情熱と志の高さは、この病院地区キャンパスの小道に残されている6名の先輩たちを代表とする数々の世界的な貢献が物語っています。

私は、人生とは何かと問われれば、その答えの一つは、「人々のつながりによって時を紡ぐ作業に参加すること」だと考えています。その意味で、今日、皆さんとともに、歴史館建設という九大医学部110年の時を紡ぐ作業に参加する機会を得たことに心より感謝しています。

繰り返しになりますが、この歴史館建設の目的の第一は、九大医学部の歩みを社会の財産として継承するという社会に対する義務を果たすことです。
二つ目は、110年の時間の流れの中で蓄積された医学・医療の歴史を医学部生および教職員に対する生きた教育資源として活用することです。
歴史的財産の中に、いわゆる「生体解剖事件」という負の歴史があり、今回、当然のこととしてこの歴史もこの歴史館に残します。

この生体解剖事件に関しては、ある新聞報道では「九大 米捕虜をめぐるタブーを破る」というセンセイショナルな見出しで医学歴史館建設が紹介されており、記事には、1948年9月の医学部教授会で「事件は本学部としては直接関係がないと総括し、その後事件については公の場で語ることを避けてきた経緯がある」と書かれていました。

私は、この記述が私がこれまで持っていた認識とかけ離れたものであり、70年を経た現在、この記事をみた若い医学生や市民の皆さんが「生体解剖事件」に対する九大医学部の対応について、誤った認識を持つ可能性があると考え、事務の方々の力を借りて可能な限り過去の資料を調べてみました。
その結果、新聞記事にあった「1948年9月の医学部教授会で、事件は本学部としては直接関係がない」で終わっている文章は、実は「事件は本学部として直接関係がないが、学部内で起こった事件でもあるから、判決発表があったこの際、学部の反省と決意の会を開催し、職員学生の反省の決意を促したいという医学部長の提議がなされ、可決した」と続いているわけです。

重要なことは、教授会の可決を受けて、一週間後の9月15日午後2時から医学部中央講堂で、学部・附属医院・専門部共同主催の下、職員・学生生徒・看護婦等の出席を求め「反省と決意の会」が主催されたこと、および、その決意内容です。
ここで紹介いたします。

「医学研究および研究のありかたについて反省し、われわれ医師として生命及び身体の尊厳についての認識を一層深くするとともに、その天職をまもりぬくためには、たとえ国家の権力または軍部の圧力が加わっても、絶対にこれに服従しない」ことを決意したとあります。

この決意こそ私が九大第一外科に入局以来理解していた事件に対する九大医学部の対応でした。 この新聞記事を目にして以来、決意文そのものを探し続けていますが私自身は未だ探しだせずにいます。
ただ、この決議がなされて以後の公的な書きものである九大50年史、九大75年史、九大一外科100年史にこの決議文が記載され続けていることより、これが九大医学部の事件に対する対応に最も近いものであると考えます。 この1948年の「反省と決意の会」での決議内容が九大医学部の考えであることを本年9月10日の教授会で改めて確認し了承を得ました。
したがって、「生体解剖事件の記録」については、この1948年9月8日の教授会の記録および9月15日の「反省と決意の会」の決議を添えて歴史館に残していただきたいと思っています。

御存じのように、この医学歴史館建設は、財政難およびマンパワー削減という厳しい社会情勢の中にあって、建設のみならず、今後の維持費を負担するという同窓会の皆さんのご英断、建設場所として病院キャンパを提供するという九大関係者の理解、さらには複雑な事務作業を引き受けてくださった事務の方々のボランティア精神が一つになって生み出した成果です。
皆様のこれまでのご努力に敬意を表するとともに、医学歴史館が建設の目的に向かって発展し続けることを信じ祈っています。

今、我が国の医療は医師数を増やすべきか減らすべきか、もしすぐに正解が出せないのならどのような仕組みでこの大問題に取り組むべきかという決断の時を迎えています。全国の医学部は医師のレベルを保ち、かつ疲弊した地域医療をこれ以上混乱させないため、80の医学部が全校一致して医大新設に反対し、代わりに現教員一人一人が教育の負担をさらに背負う覚悟を持って医学生定員増を実現することで、「医師不足に対応せよ」という社会の要請にこたえるということを国に訴え続けています。
しかし、退官後の個人の立場を優先し、このような国の問題を無視するかのような言動を取る教授陣が増えてきています。
是非、この歴史館においては九大医学部がこれら我が国の医療の基盤となる課題に何を提言し、どのような立場で臨んだかを記録するコーナーを設け、九大医学部の歩みを過去・現在・未来の時間軸で見通せるようにしてください。

この小さな歴史館が、過去の財産の集約の場としてだけではなく、九州大学がより良い医学・医療発展を目指し、今後どのような道を歩もうとし、今、どのように歩んでいるのかを社会へ発信する「九大医学部の良心」であり続けることを信じています。

最後になりましたが、皆さまのご健勝とご活躍を心よりお祈りいたします。 本日はまことにおめでとうございます。そして有難うございました。
皆さん、腫瘍制御学で語らった日々を想い、いかなる困難、不都合があろうと、懸命にもがいた後には全てを受け入れ、再び道の端を颯爽と歩いてください。一日でも幸せの日の多いことをお祈りしています。